どうも渚です!
2019年5月に宮崎県から佐賀県へ移住。
現在は、唐津市に住んでいます。
唐津と聞いた時にあなたは何をイメージしますか?
唐津城や唐津焼、唐津くんちに見られる歴史文化。
または虹の松原のような自然を感じる観光スポット。
はたまた、唐津バーガーや呼子のイカといった名物グルメ。
多面的な魅力を備える唐津の名物観光地の基礎的な観光知識を
唐津初心者・移住者である私目線でまとめてみました(笑)
それでは張り切ってどうぞ!
この記事の項目
唐津市の基本的なスペックをご紹介
佐賀県土の約20%を占める唐津市
佐賀県唐津市は県内で2番目に多い人口121,890人。
面積は487.4k㎡と県内1位の広さを有する市です。
九州最大の都市である福岡へも車やバス・JRを使用しても
1時間程度とアクセスがよく
通勤通学者のみでなく
年間720万人程度の観光客が訪れています。
唐津市は地球規模で見ると綺麗に
東経130度上にあるということで知られており
地元の方々もPRに力を入れています。
東経130度、唐津のシンボルに 交差点名や交番の愛称に次々 唐津東高OB奔走 https://t.co/2276c15ZUw #西日本新聞
— ❄️YOI唐津と福岡bot (@kkt_yoi) 2019年3月11日
2018年の記事です
恵まれた自然に育まれる名物
基幹産業である第一次産業では
全国1位の生産量を誇るハウスみかんをはじめ
豊かな自然の中で育まれたお茶やお米などが特産品となっています。
近年では九州大学と共同開発を進めている完全養殖マサバの研究が盛んです。
「唐津Qサバ」という名前で
呼子のイカに次ぐ資源として期待されています。
釣りいろはさんの動画も素敵😍ですけど、こちらの動画もよろしくお願いします🙇⤵️
— 唐津Qサバ【公式】 (@karatsuQsaba) 2019年5月2日
『プロジェクトQサバ』https://t.co/Kesghsm5Y9#唐津Qサバ #プロジェクト #活き造り #佐賀県 #刺身 #九州大学
THE唐津!代表的観光スポット押さえよう!
①まちのシンボル唐津城

舞鶴城と称され
唐津市のシンボルともなっている唐津城は
1602年から築城がはじまり7年もの歳月を経て完成しました。
また、同じ時期に現在の唐津焼と呼ばれる焼き物の技法が確立されたと言われています。
舞鶴城と呼ばれるに至った由縁は
『東西に延びる松原の様子を見て
鶴が両翼を広げて舞っているように見えたことだ』とされています。
現在では桜や藤の名称としても知られています。
②インスパイアされた!唐津くんちが分かる曳山展示場

1819年当時、唐津市刀町の石崎氏が伊勢神宮を参拝した後
立ち寄った京都で見かけた祇園祭に感動しました。
帰郷後、仲間たちと手作りした獅子の頭を
唐津神社に奉納したことが唐津くんちの起源とされています。
その後、唐津神社秋季例大祭となる唐津神祭が
時代の流れとともに現在のような曳山を曳く祭りに変わっていくこととなりました。
現在では、通年で唐津くんちを楽しめる曳山展示場があります。
まつり当日に参加できない方はぜひ足をお運びください。
③虹の松原を一望できる鏡山

神功皇后(じんぐうこうごう)が
鏡山の山頂に鏡を奉納したことが名前の由来とされている
鏡山は標高284mの山です。
眼下には国の特別名勝にも指定されている
虹の松原をはじめ、唐津湾なども一望できる絶景スポットです。
鏡山には地元の人は誰もが知る
松浦左用姫(まつうらさよひめ)伝説が残っています。
朝鮮へ出兵することとなった婚約者である
大伴狭手彦(おおとものさでひこ)のことを悲観した左用姫が
鏡山の山頂から領布(ひれ)を必死に振って見送りました。
そのことから鏡山は「領巾振山(ひれふりやま)」との別名でも知られています。
現在では、絶景が楽しめる観光スポットとして
年間をとおして多くの方が訪れています。
④唐津漁業の原点を知れる鯨組主中尾家屋敷

現在でこそ唐津市呼子と聞くと
「イカのまち」とイメージする人も多くなっているかと思います。
しかし
呼子は江戸時代中頃から明治時代の初頭にかけて
捕鯨で栄えているまちでした。
その中でも代表的なのが中尾家です。
現在でも残る鯨組主中尾家屋敷は
唐津市内における捕鯨に関する貴重な歴史資料が保存されています。
屋敷は、母屋を含め当時の様子が分かる保存状態が大変素晴らしく
佐賀県の重要文化財や22世紀に残す佐賀県遺産
景観重要建造物にも指定されています。
参考⇒〈鯨組主中尾家屋敷HP〉
⑤レトロお洒落なレストラン?旧唐津銀行本店

旧唐津銀行本店は、唐津港を国際的な貿易港に発展させるべく
当時石炭を中心とした事業を展開していた
地元企業への賃金機関として1912年に設立されました。
建設には唐津出身であり
東京駅を生んだ辰野金吾が監修
弟子の田中実が設計を行ったすえに完成しました。
現在では、地下1階にレストランを設け
趣のある雰囲気の中で食事を楽しむことができます。
ミニ知識でより楽しく

1932年には市政施行となり現在の唐津市の大枠ができあがり
合併や編入などを経て現在の唐津市となりました。
「自然と歴史と文化が織りなす心の散歩道」の標語のもと
現在もその歴史文化を後世に守り伝えています。
現在でこそ、唐津といえば○○と各人が抱くイメージがあるかと思います。
現代に残る逸話や資料、建物をとおして
佐賀の歴史が分かるだけでなく
当時の様子にも思いを馳せることのできる唐津の観光地。
ちょっとした豆知識として押さえておくことで
より楽しく観光できるかも知れません!
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